なぜ私は、この会社に合う仕組みを自分で作ることにしたのか

前回、私はなぜ「話し合い」ではなく「仕組み」を作る方へ向かったのかを書いた。

親族経営では、仕事の話がそのまま仕事の話として進むとは限らない。
しかも現場では、流れが感覚に依存しているほど、どこで何が詰まっているのかが見えにくくなる。

だから必要だったのは、もっと話し合うことだけではなく、仕事の流れそのものを見える形にすることだった。

では、その仕組みをどう作るのか。
ここで私は、もう一つ別の問題にぶつかった。

それは、この会社に必要なものを、既存のやり方の延長だけで本当に作れるのか、ということだった。

既存のやり方の延長では足りなかった

今までの会社には、今までの合理性があった。

口頭で伝える。
現場で調整する。
経験のある人が埋める。

そのやり方で回ってきた部分は確かにある。

だが、承継を考える立場から見ると、それだけでは弱いとも感じていた。

何がどう流れているのかが、人によって見え方が違う。
どこで止まっているのかが、全体としては追いにくい。
誰かが分かっている間は回るが、その誰かに依存したままでは次に渡しにくい。

つまり、今までの延長だけでは、今後に必要な形には届かない。
そう感じる場面が増えていた。

ただ一方で、だからといって最初から何か大きな完成形を持ち込める状態でもなかった。

最初から完成形は作れなかった

工程数の多い会社では、最初から全体をきれいに整理するのは難しい。

流れも多く、例外も多い。
何をどこまで標準化できるのかさえ、最初ははっきりしない。

現場は日々動いている。
止めて一から作り直すわけにもいかない。

しかも、見えていないものを見えるようにしたい段階で、最初から完璧な形を求めても現実には進みにくい。

必要だったのは、立派な完成品ではなかった。

まずは、この会社の流れをこの会社の中で少しずつ見えるようにしていくための、最初の土台だった。

その意味で、自分に必要だったのは、まだ整理しきれていない現場に外から完成形を当てはめることより、今の会社に合う最小単位を作ることだったのだと思う。

だから私は、この会社に合う形を自分で作る方へ向かった

私が最初に始めたのは、ありきたりではあるが、Excel上でガントチャートを作って計画を立てることだった。

まずは、一か月の生産の目安を共有する。
かなり根っこの部分だが、そこから始めるしかないと思った。

もちろん、最初から全工程を総合的に計画化できたわけではない。
工程が多い以上、最初は重要工程に絞るしかなかった。

それでも、どこに優先を置き、何を先に流すのかを少しでも見える形にすることには意味があった。

ガントチャートで見えるようにしたのは、まず「これから何を先に流すか」という計画だった。
だが、計画だけでは、実際にどこまで進んだのかは分からない。

同時に、現場にも一つだけお願いを増やした。

作業日報の記入である。

それまで会社では、出荷の数字でしか生産数を見ていなかった。

最後に何個出たかは分かる。
だが、その手前でどの工程がどれだけ進み、どこで滞っているのかは、ほとんど見えていなかった。

日報をつけるようになってから、各工程ごとの数量が少しずつ見えるようになった。

まだ十分ではなくても、少なくとも「見えないまま進む」状態からは一歩動けたと思う。

今振り返ると、あのとき自分がやっていたのは、特別な開発ではなかった。

ただ、この会社に必要な土台を、この会社で使える形で作ろうとしていただけだったのだと思う。

手作りであることが大事なのではなかった

ここで誤解したくないのは、自分で作ること自体が目的だったわけではないことだ。

手作りであることに価値があるわけではない。

本当に大事だったのは、この会社の流れに合い、実際に使え、少しずつでも会社の中に残っていくことだった。

もし既に十分に合う形があり、無理なくそれで回るなら、それでもよかったのだと思う。

だが少なくとも当時の自分には、まずこの会社の流れを自分たちで見えるようにしなければ、その先の整備にも進めないように感じられた。

だから私は、自分で作る方へ進んだ。

それは理想の方法だったからではなく、今の会社にとって一番現実的な始め方に見えたからだ。

仕組みを作ることは、承継の準備でもあった

仕組みを作ることは、効率化のためだけではなかった。
便利にすることだけが目的でもなかった。

承継の中で本当に必要だったのは、誰かの頭の中や感覚の中にあるものを、少しずつでも会社の中に残していくことだったのだと思う。

何が流れ、どこで止まり、何を見れば次が分かるのか。

そうしたことが少しずつ形になっていかなければ、会社は次に渡しにくい。

その意味で、私が作り始めたのは管理のための仕組みというより、引き継ぎのための土台だった。

たぶん、手作りDXという言葉は、そのあとから付いてきたのだと思う。

最初から何か大きなものを作ろうとしていたわけではない。

この会社を次にも回る形に近づけるために、必要なものを小さく作り始めただけだった。

そして、その小さな始まりから、必要なものを一つずつ足していくことになった。


※本記事は特定の人物・企業を批判する目的ではなく、親族経営・事業承継の現場で起きやすい構造的な問題を整理したものです。

※現在、親族経営・事業承継の現場整理に使えるチェックリストや思考整理用テンプレートを作成中です。

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